いじめについて考える
程度の大小はあるだろうが、いじめを体験したり、いじめに合うことはないにせよ目にすることは一生のうち何回かはあるだろう。
それは学校かもしれないし職場かもしれない。
いじめにあった時にはもちろん被害者はかなりつらい経験をし、トラウマになることだって少なくはないのだが、大人になってこういったことを考えてみるといじめる側はかなりバックグラウンドに問題を抱えていることが多い。
そして本当にいじめることで楽しんでいる人間性の無い人以外では、自分のうっぷんをはらす為であったり、自分が不幸なので更に他でもっと不幸なものを作り自分が少し幸せな気分になる為、というケ-スが以外に多いように思う。
いじめはどんな場所でもどんな年齢にでもおこり得ることなので、もしこのような目に巻き込まれてしまったら彼らのバックグラウンドを少しは考えられる余裕を持っておきたい。
が、そろそろ「いじめ」も無駄な時間の浪費という教え方をする人はいないのか。
愛だのやさしさだの、情操的な言い回しでは誰も話を聞いてはくれない。
ましてやいじめをやっている連中は、心を説いても意味は無い。
時間のムダ、人生の汚点、はては刑事告訴で人生を棒に振る恐れ、人間として底辺など強烈な言葉をストレートに放つべきではないのか。
つまり「クズ」への一歩を踏み出す行動が「いじめ」であると知らしめるのである。
誰でもクズにはなりたくないでしょうからね。
それでも止めないヤツには司法の場に立ってもらうしかないだろう。
今朝の夢
今日、面白い夢をみました。
他人の夢というのは聞いていて面白いことは絶対にないので、あまり人には話せません。
というわけなのでここに記録してみることにします。
舞台はどこかの学習塾のようなところでした。
授業の内容は国語で、恐らく作文教室のような授業でした。
教室内には元彼やら昔教員をしていた頃の生徒やら、今のバイト先の後輩やら、色々なメンバーが居ました。
私はバイト先の後輩の隣に座りました。
因みにその後輩とは別にそこまで仲良しなわけではないので、何故その席に座ったかは謎です。
授業が始まり、先生が「じゃあテキストの何ページを誰か読んで」と言います。
しかし誰も手を挙げず、読まないので、教室は変な沈黙に包まれました。
するとクラスのいじめっこらしき女の子が立ち上がり、私の近くに座っていた大人しそうな女の子(中学校と高校の同級生でした)のところに行って「あんたが読みなさいよ!」と命令します。
私は「なんて酷い子なんだ!」と思いながらも、その子が黙って立ち上がってテキストを読むのを聞いていました。
その子は合唱が趣味だったせいか、テキストの読み方がミュージカルのように、歌に乗せた感じになっていました。
因みに文章は歌の歌詞になっていて、某魔女が運送業をやるアニメ映画のテーマソングでした。
彼女は美しい声で歌いながら1番の歌詞でテキストを読み上げました。
すると、そこで授業を始めようとした先生を遮って、彼女が2番を歌い始めます。
更にクラスの他のメンバー全員がそれに完璧なコーラスを合わせてきて、教室に美しいハーモニーが流れるのです。
私も当然のようにそれに参加して歌っていました。
全員が気持ちよく歌い上げると、教室中で拍手が巻き起こり、何事もなかったかのように授業が再開されました。
よく分からない夢ですが、起きた時にものすごく気分がよくて、朝からその歌が頭から離れません。
最近夢見があまりよくなかったので、久々に何だか楽しい夢が見れて、楽しかったです。