親切は帰ってくる

自分が行った親切がこんなに心に響き返った事は無い。電車で御老人に席を譲ったのだが、それはそれは喜ばれた。もともと優しい人であったのか、それとも厳しい人であったかは分からないが、観音様の様な優しい笑みを浮かべておられた。

ほんの二駅の間ではあったのだが感謝の言葉をひたすら羅列され、ほめたたえられ、周りの目もあり、恥ずかしくむず痒い事限りなかったのだが、私はバスを降りてからというもの自宅までの道のり、なぜかずっと心地よく、すがすがしく、外は寒いはずなのに少しポカポカとしていた。私は人に親切にされたのではない。こんなにも親切にするということが自らを心地よくしてくれるとは思わず、今迄の行動を悔やむとともにこれからはもっと人に親切にしていこうと心に決めた。そもそも親切はなぜ親を切ると書くのだろうか。どうやら昔の中国語では「親」は親しい人、「切」は、刃物がじかに当たって肌身に応えるという意味で使われており、つまり、身近にいてぴったりとくっついている人と言う意味があったらしい。さすがに今の日本語でいう所の親を切るではなかったが、日本語も奥深いものである。親切にしても気持ちいい、されても気持ちいい。されて気持ちがいいのはいつもしているからであるに違いないと思う。いつも人に不親切な人は親切にされても心から喜べないと思う。やはり一日一善ではないが、人に親切にするという事は帰ってくるのだなと思う。まさに心がけるは一日一親切である。

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