地域情報誌
髪を切るにしても習い事をするにしても、まず最初にどんな店かどんなクラスかを体験し確かめることができたら非常にうれしい。
こういうことを最近助けてくれるのは地域の情報誌である。
大抵この情報誌には様々なお店の得点や割引が含まれるので、興味がなくても割りとじっくりと隅から隅まで目を通してからペ-ジをめくる。
中にはお試しだけ使うけちな読者もいて損をする会社も無きにしもあらずだが、読者からしてみれば納得してから常連になったり利用したりできるので本当にありがたいものである。
さらに日頃は気づきにくい場所に隠れているお店や聞いたことのない新しい種類の踊りであっても、割引や無料体験があるなら一度のぞいてみようかな、ということになる。
宣伝効果はものによっても違うではあろうが、インタ-ネットで調べるという行動は私の場合本当に興味がないとあまりしない。
ところがこの地域情報誌になると駅やコンビニなど身近においてあって、しかも電車を待っていたり、乗っている時にすることがないならば自然に手にとっている。地域に密着した情報誌とはこれからも末永くつきあっていくことになりそうだ。
地域情報誌は無料で手に入る。
インターネットでも情報は取れるが、チケット利用は、冊子の方が使いやすい。
印刷して余白を切って、という作業が非常に煩わしいし、インクも勿体ないという気持ちになってしまう。
チケットでも媒体が変わると価値まで変わるのか?
ネットでチケットを買ったとき
スポーツ観戦や、演劇鑑賞に行くとき、チケットはもっぱらネットでとる。
早いし確実だし、何より手間がかからない。
それで愛用しているのだが、時々おちょくられているような気分になることがある。
先日もそんな体験をした。
それは、とあるスポーツ観戦のチケットを取る段の話。
会場の座席を指定しながら席を購入出来るシステムであった。
一分でも早く席を確保したい私は、携帯端末で、チケット購入のサイトで必死に手続きをしていた。
けれどもそこはやはり小さな携帯端末だ。
ただでさえ豆粒のような会場の座席図が、より小さくなって全然見えない。
かろうじて目当ての空席をみつけたので、そこをクリックして手続きをしたい。
けれどもあまりに小さいので指で押せない。
そこはスマートフォンならでは、画面を拡大してみたりしたのだけれども、かなり大きくしないと席を選択できない。
すると限界を超えて固まってしまう。
画面が動かなくなって席が取れない。
最初からやりなおす。
はやくしないとその席がとられてしまう、という吝嗇な焦り。
これを10回くらいくりかえしてイライラが最高潮に達したとき、ああ、パソコンでやればよかったんだ、と気づく。
そしてパソコンでそのサイト、その画面を開いたとき、何と言うことか目当ての席が既に人に奪われた後であった。
この時ほど私のデジタル機器たちを恨んだことはない(逆恨みである)。
自分でも少し笑いそうになるほどぷりぷりしながらサイトを閉じようとしたとき、ふと私のスマホのほうが、先ほどの目当ての席の予約途中の画面のままであることに思い至った。
それでもしやと思いながらスマホのほうのページを閉じると、今度はパソコンのほうでさっきの目当ての席が空席表示になった。
私がさんざん呪った先客は私自身であったのである。
自身の手落ちに違いあるまいが、まったく馬鹿にされたような、狐につままれたような気分であった。